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2016年04月24日

見ない見えない見たくない

わたしは
仮性近視でした。

仮性近視というのは
後天的な近視です。

小学校高学年くらいまでは
視力2.0で、教室の後ろの席で
ちゃんと黒板が見えていました。

それが思春期ごろから
年々視力が落ちました。

目のレンズを調節する筋肉が
弱りやすかったようですが、
0.1を切り0.01とか02くらいになり

昔の視力測定器で、
一番上の大きい記号がぼやけてしまう域に
突入したときは
そりゃもうショックでした。
(「1歩前へ」と言われる・・・)

家族でも父親がやや悪い程度で
そんなド近眼はわたし一人。

母親には「めくら」扱いで
いろいろからかわれて
本人には悪気はなかっただろうけど
当時はかなり傷つきました。

メガネもコンタクトも一長一短で
当時人前に出る仕事をしていたわたしは
必要にせまられてレーシックをします。

10年以上前でしたので
両眼で45万円くらいだったかな。
メガネやコンタクトを
たびたび新調することを考えたら
安いと思いました。

で、手術翌日に
目が覚めたときにふつうに目が見えて
メガネを探さなくて良いことに
嬉しくて感動して泣きました。

それもこれも
すべて自分がしくんだ物語なのだけど。

わたしはある時期
自分の生きる世界に絶望していたのです。

自分の顔も見たくなかったし
見たくないものだらけでした。
目先のことで手一杯でした。

そうやって世界を狭めて
制限をかけ、
また強引に切り拓くということを
やりました。

あえて負荷をかて
筋肉を鍛える加圧トレーニング
みたいな感じです(笑)

いまは
この目で見ているのは
物質でありエネルギーであり

人によって
同じものを見ても
同じようには見ないし見えないことも
知っています。

そんなふうに感じられるまでの過程を
楽しめたことに感謝です。

20160420155054236.jpg

わたしの見る世界は
いつもすべてが美しい。

醜さもひっくるめて
美しい。
posted by まさみ♡まみ at 23:02| Comment(0) | メンタルヘルス・心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

虹まつり

インスタのタイムラインを見たら
昨日は虹祭だったんだな✨🌈✨

昼間は引きこもってて
空は見ていなかったら
代わりに撮って見せてくれた
みんなに感謝だわさ\(❁´∀`❁)ノ

20160424064844796.jpg

先日立て続けに幻日を見た。
ザックリ言うと
太陽の水平線上の小さな虹ね。
上の写真も、よく見るとそう。

あれっと思って
二度見すると虹だぁ〜♡と
テンションがアガる(笑)

Facebookかここで
前にも言ったけれど、

わたしは
虹がなくても虹が見える(ように感じる)。

噛みくだいて言うと、
虹に近いエネルギーがあるところに
虹を感じることがある。

だから、虹が見えると
生身の目(?)で見ているのか
チャンネルを切り替えるような感覚で
何度も見直す。

みんなが同じときに
虹だー🌈と言っていると
虹の存在がカンタンにわかるので

インターネットは
こんな時にはとても便利。
(●´ω`●)

目で見る景色の美しさは
なかなか形に表しきれない。

でも、写真や絵には
また違った面白さがある。
そこに表された
各自の内側の世界を味わえる。

絵でも音楽でもなんでも
料理でもメモ書きでも
出力されたものは
その人の一部であり全部で、
同じDNAを持ったパーツということ。

さまざまな虹の写真を見て、
その世界の彩りに感動した。
どの世界も素晴らしい。
すべてが素晴らしい。
posted by まさみ♡まみ at 07:08| Comment(0) | 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

その、奥にあるもの。

前の記事の続きでもある。

Facebookとかで
前に書いたかもしれないが
ある知人との交流での出来事。

カラオケに行ったときのこと。

いまは離れている
(でも愛している)人のことを想いながら
歌うのを聴いて、衝撃をうけた。

その人は
たいして歌は上手くない。

音楽の好みもあまり合わない
もろもろの感性もあまり合わない

つまり、
魂レベルでは愛しているけど
「人間的」には
あまり噛み合わない相手(笑)。

でも、その歌はすごかったのだ。

相手を
どれだけ愛してきたか
どんなふうに愛してきたか
今もどれだけ愛しているか

ダイレクトに入ってきた。

愛されている感じを
疑似体験させてもらった。

音とまじわり
表現しがたい快感を受け取る。

人間の発する


というツールは

とんでもないポテンシャルがある。
人間は楽器そのものなのである。

目で合図し
指で指揮し
唇で身体で奏で
宇宙を調整し調和する。

(べつに音でなくてもいい)

わたしは常々
(「わたし」という)神の道具として
自分を磨いて輝かせたいと思っている。

スイッチを切り替えたら、
感情も思考も超えたところで
ただただ器として機能する

そのうえで離れたところから
全体を眺めて微笑んでいる。
そんな感じでありたい。

エネルギーに敏感な方たちは
気づいているだろうけど

世間では
病や障害があるとされている人たちが
やっている

何気ない動き
意味不明とも思える呟き

あれ、
ほんとは
ちゃんと観ると感じると
とても面白い
とてもすごい

そういったことを
誰もが理解し感じられるところへ
移行していっている

特別なことなんかじゃない

本来の「あたりまえ」に
「ふつう」の状態に還るだけなのだ。

無意味に思えることに
目を向けてみると面白いから
やってみてほしい。

見ないようで見てる。
そんなゆるさで眺めてみてほしい。
posted by まさみ♡まみ at 14:54| Comment(0) | 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

変態上等

玉置浩二と槇原敬之
玉置浩二 × 槇原敬之 / 田園


ミュージシャンとして好きな2人が
一緒に歌うのを聴いて泣けた。

人としては
いろいろ問題はあるかもしれない人たち。
でも表現者としてはすごい。

常識を超えてるからこそ、すごいのだけど。

昔むかしから
画家やら音楽家やら文筆家やら
芸術に携わる人たちというのは
なにかとぶっ飛んでいる。

破天荒なキャラクターと物語も
それはそれで魅力的なのだけど

もてあましてしまうほどに溢れる
感じやエネルギーが
セックスや暴力や薬に
散らされてしまうのはもったいない。

エネルギーが100%表現することに
向かったらどうなるんだろうと思う。

ステージの上とか
筆を持った瞬間とか、
スイッチが入っている時は
100%に近いのかもしれないけど、
もっともっとすごいと思うんだよなぁ。

そして
自分のことを振り返ってみたとき、

自分を縛るものを外していったら
完全に自由になっちゃったら
これ以上素が出ちゃったら、

人に迷惑がかかるかもしれない
白い目で見られるかもしれない
と恐れているから
ブレーキがかかる。

まだまだ中途半端なのだ。

白い目で見られたとしても
非難されるようなことがあったとしても
ほんとうは屁でもない。

それ以上に愛されているから。
愛しかないのだから。

それを信じていられたら怖いものはない。

幼いころわたしは
絵と歌の好きな女の子だった。

誰のためでもなく
自分のためだけに歌っていた。
とてもしあわせだった。

それを聞いた母親に
下手くそだとからかわれて
傷ついた。恥ずかしくなった。
喋るときに吃るようになった。

今でも人前で
声を発することには抵抗がある。

それを超えたくて
人前にでて
しゃべるような仕事もやってみた。

上手にやりたい
褒められたい
しかられたくない
そんな思いがあるから

今はまだ
幼いころのような
純粋さ100%の出力では
やれていない。

下手くそでも
胸をうつ歌はある。
絵でも写真でも言葉でもそう。

わたしはどんどん
変態を極めていく。
本来の姿に還っていく。

それでも
周囲とも調和できる
ちょうどいいバランスがあるはず。

そんなことを
彼らの歌を聴きながら考えた。

☆追記☆

お付き合いの浅い方たちのために補足すると
「変態」というのは
わたしにとっては
素晴らしい状態を示します(笑)

昆虫の変態とも掛けている。

posted by まさみ♡まみ at 13:22| Comment(0) | 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月22日

愛は添加物を超える

昨日、出掛けた先で
いろいろ素敵なめぐり合わせで
たくさんのミラクルが起きた。

その詳細は省くけれど

いろんなところで
知人と何度もと会う。
帰り道も(別の)知人と同じ電車に。

そして
良かったらどうぞと
パンをお裾分けしてもらった。
買い物帰りだったようです。

それはヤマ〇キパンの「ランチ〇ック」。
ふだんならあえて買わない品物(笑)

でも、その方の
愛情がたっぷりなのですよ。
受け取った瞬間から
しあわせになる感じ♡

ありがたく美味しくいただきました。

わたし(たち)は
よほどの無茶をしなければ
たいがいのものは
自力でデトックスできます。

多少残ったって
たいして支障はありません。
わたしが気にしなかったらいい。
それだけなのです。

添加物なんか
過剰に心配しなくていいのだ。

たまたま同じ時間、同じ電車にのり
何気ない話をして、
どうぞとパンを分けて貰う。

パンと葡萄酒を分け合った日々を
ほんのりイメージしたりして
うるっとくるのである。
posted by まさみ♡まみ at 13:25| Comment(0) | 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする