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2016年04月23日

その、奥にあるもの。

前の記事の続きでもある。

Facebookとかで
前に書いたかもしれないが
ある知人との交流での出来事。

カラオケに行ったときのこと。

いまは離れている
(でも愛している)人のことを想いながら
歌うのを聴いて、衝撃をうけた。

その人は
たいして歌は上手くない。

音楽の好みもあまり合わない
もろもろの感性もあまり合わない

つまり、
魂レベルでは愛しているけど
「人間的」には
あまり噛み合わない相手(笑)。

でも、その歌はすごかったのだ。

相手を
どれだけ愛してきたか
どんなふうに愛してきたか
今もどれだけ愛しているか

ダイレクトに入ってきた。

愛されている感じを
疑似体験させてもらった。

音とまじわり
表現しがたい快感を受け取る。

人間の発する


というツールは

とんでもないポテンシャルがある。
人間は楽器そのものなのである。

目で合図し
指で指揮し
唇で身体で奏で
宇宙を調整し調和する。

(べつに音でなくてもいい)

わたしは常々
(「わたし」という)神の道具として
自分を磨いて輝かせたいと思っている。

スイッチを切り替えたら、
感情も思考も超えたところで
ただただ器として機能する

そのうえで離れたところから
全体を眺めて微笑んでいる。
そんな感じでありたい。

エネルギーに敏感な方たちは
気づいているだろうけど

世間では
病や障害があるとされている人たちが
やっている

何気ない動き
意味不明とも思える呟き

あれ、
ほんとは
ちゃんと観ると感じると
とても面白い
とてもすごい

そういったことを
誰もが理解し感じられるところへ
移行していっている

特別なことなんかじゃない

本来の「あたりまえ」に
「ふつう」の状態に還るだけなのだ。

無意味に思えることに
目を向けてみると面白いから
やってみてほしい。

見ないようで見てる。
そんなゆるさで眺めてみてほしい。
posted by まさみ♡まみ at 14:54| Comment(0) | 日々のあれこれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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